SON Pop’s 100’s(SONポップスハンドレッド) 第1回

番組名:SON Pop’s 100’s(SONポップスハンドレッド) 第1回
「ワンマンDJに挑戦してみました」
放送日:1983年6月6日
出演者:山野小雀(B80佐伯)
スタッフ:制作 芦川新 / 技術 三木佐太郎(B80佐伯)

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SONで初めて本格的に英語を使用したアメリカンDJ方式を採用した番組。これ以前にも日本語では「Mr.UMAのP.C.H.」などがあるが、英語を使える人物が登場するのは慶野のこの番組が初めて。

この頃、80年後期から続く「浅田哲夫のマイナー選科」の制作が遅れ気味で、83年前期からは正式に『隔週放送』とされた。
そこで「マイナー」担当Pだった佐伯が入れ替わりに放送する内容を検討。当時日本でもはじまったアメリカンDJ風番組に挑戦しようということになった。
(芸大に教えに来ておられた塩原先生が、FM大阪で前年から始まったカマサミコングの「American Music Station」などの話をしておられて、ものすごく興味があった。)

当初から当時のSONで唯一まともに英語が使える慶野美嵯子の起用を予定したが、慶野が当時自動車学校に通っており、なかなか卒業ができずに伸び伸びになった。
そこでとりあえず企画だけ先行ということで、
(どっちみち「マイナー」の穴埋め責任者は佐伯だったので)
暫定的に山野DJにより、「マイナー専科」の穴埋めとして6月6日から放送が始まった。


<B83-059 須佐 修 研究員より>

ナニワエキスプレスといえばレギュラー放送でオープニング曲
として使用された番組がありました。

曲 名:RED ZONE
演 奏:NANIWA EXPRESS
収 録:大宇宙無限力神

番組名は「SON Pop’s 100’s」(1983年~1984年)
黒江さんと慶野さんの番組名通りの音楽番組です。慶野さん
の英語でのDJは圧巻でした。


<B80-036 佐伯 研究員より>

黒江・慶野 コンビは83年後期~最終回まで。
83年前期の穴埋め番組枠から、慶野の出演が内定していたが、自動車学校に通うという事で、出演が伸びていた。
結局、83年夏のラジオ短波主催のイベント「FMせんり’83」での特別番組からの出演となった。
(「FMせんり’83」は現在のコミュニティFM局「FM千里」とはまったく関係がありません。)


佐伯研究員(2008/07/14) 2009年07月04日(土)22時42分

「POP’s 100’s」は作った事は覚えているがどういういきさつだったかを忘れてました。昔の音源を聞き返してようやくいろいろ思い出されてきます。
’82 年途中から「マイナー専科」浅田哲夫さんが、ヤマハポプコン大阪府大会出場などで忙しくなり「瀧裕司のマイナー専科」や「窪田光雄のマイナー専科」などで穴をうめる事があった。(浅田哲夫やエッグムーンのアルバムを紹介)後期には毎週作るのは大変と浅田さん自身から『月1回放送』を希望。
’83年春からは『隔週放送』となり、当初は「クラブ紹介」などを放送。クラブ紹介終了後は数回試行錯誤のあとがある。
で、第1放送編成担当の佐伯が、穴埋め&パイロット版として「ベストテン」の洋楽版的な考え方で、’83年6月6日に第1回を放送。制作&DJ&技術担当山野小雀。「マイナー」の代役(隔週のウラ)の担当として第2回は予定通り6月20日に放送。
当初から帰国子女の慶野を迎えての番組を企画していたようだが、うまく話がまとまらず、山野が担当していたようだ。
第2回の次6月27日は「マイナー」もなく「ポケットストーリー」(朗読ドラマ)と「フレッシュストリート」の第1回を放送(出演:油谷志保)、翌週7月4日は山野も間に合わず「ドラステ(イブ)」の再放送など。
7月11日の前期最終は「マイナー」が放送されて、前期終了。結局「山野」の「POP’s 100’s」は2回の放送。

11月 23, 2024

Posted by B80-036