ショート・ジョッキー 第1回
番組名:ショート・ジョッキー 第1回(暫定)
放送日:1980年6月14日(現存する最古の番組のひとつ)
出演者:瀧裕司・桑江知夫(豊川)
SONの番組第1号。
元々は瀧氏の中学時代の放送委員会の校内放送の番組名。
その後、瀧氏の高校時代のテープネット放送の番組名として使われ、大学入学=金剛寮入寮時に始めたFM電波個人放送の番組名となった。
1980年6月14日は現存する最古の番組。
80年6月14日のトップの番組で、現存するものではSON最古の番組。
まだまだ「瀧裕司と金剛寮の仲間達」の雰囲気が残っている。
リクエスターが「内田学生マンションの廣川さん」という所も注目。
「エンジョイ南大阪」は、当初は瀧裕司と金剛寮の仲間である桑江知夫(豊川)や東家八朔のフリートークDJ番組であったが、6月末に河村と山野(佐伯)が臨時で出演、この時の山野の「もっとしゃべって下さいよ!(と河村に言った)事件と、河村の「黄汁が出た」事件は、その語しばらく語り草になった。
1980年7月~10月にかけて、Mr.UMA(河村)と石橋八千代のコンビで定着、リクエストの常連(第3金剛寮の原田さん)などもあり、盛り上がった。
1980年10月末の河村の突然の降板宣言によりこの番組名は一時消える事になる。
残った石橋はその後、同じ枠で「八千代のナイトルーム」を開始、名番組となる。
1981年9月の「SONベストテン」で河村がSONに復帰、10月17日には、新たにB81の田中真津美を迎えて「ショート・ジョッキー」を再開。
だが、田中は欠席がちでまもなくSONを退会したため、河村+ゲストという形が主になった。一度だけ「河村+石橋」コンビの再結成の放送もあった。
ゲストはSONのメンバーがほとんどで、各ゲストに関係のある番組の裏話などを話題としていた。
82年の後期には、DJを馬場順子に交代。その後いつまで放送されていたのか?
<B80-036 佐伯孝志 研究員より>
SON最古の番組であり、滝裕司が高校時代のARS(安濃ラジオステーション)時代から続いていた番組が「ショート・ジョッキー」
噂では、津西高のお昼の校内放送の番組名だったという話も。
けたたましい目覚まし時計のSEで始まるこのテーマは、当時のギター小僧ならば一度はコピーしたと言われるカリスマギタリスト「高中正義(たかなかまさよし)」の曲。
曲名:アーリー・バード
演奏:高中正義
収録アルバム:T・WAVE (CD/KTCR-1547)
この番組はまた、SON初代メンバーの顔、
河村宏正と石橋八千代のデビュー番組でもあった。