SON南大阪ネットワークの歴史

SON南大阪ネットワークの歴史

■SONのはじまり

南大阪ネットワークは1980年、大阪芸術大学の学生が中心となって作られた「ミニコミFM放送サークル」です。
1980年に入学した放送学科のT氏(現在中部地区のFM放送局に勤務)は高校時代から自宅で微弱電波によるミニ放送局を開局、気軽に放送制作を楽しんでいました。
T氏は大学入学と同時に大学近くの学生寮に引っ越し。この時にミニ放送局も引っ越しすることになりました。そして寮の仲間やクラブの仲間なども参加してミニ放送を続けました。
一方同時に入学したS氏(現在大阪在住)は、中学時代から自分の好きな音楽にトークを加えて友人と回しあう「テープ放送局」のようなものを楽しんでいました。そして、大学入学後も遠く離れてしまった友人たちと、この交流を続けていたのです。
この二人がふとした事からお互いの活動を知ることとなり、これらを含めて周囲の活動を相互に交流しあう事になりました。

紙媒体を電波媒体へ

当時学生の自己表現の手段として流行していた「ミニコミ誌」という紙媒体としてのコミュニケーションメディアがありました。この「ミニコミ誌」を電波媒体に置き換えて表現すれば、今までの活動を発展的に広げられると考えたのです。

■微弱電波とテープによるネットワークを形成

まずは学生寮や文化住宅など学生が多く住んでいる地域を選んで微弱FM電波の送信所を設置。南大阪各地でいわゆる「100メートル放送局」のネットワークを作りました。
その後は芸大内各学科の学生や他大学の学生、あるいは近隣の住民の皆様なども参加して、手軽に楽しめる自己表現手段として活動しました。
結成初年度にははやくも、協力者であった福岡大学学生のF氏の投稿により、オーディオ専門雑誌の取材を受けるなど、注目される事になりました。
また、このような表現手段があることを周囲に認知させる事にもつながり、別の目的を持った全く別個のアマチュア放送同人団体の結成の一因ともなったようです。

■地域の任意団体から学内サークルへそしてブーム到来

当初の活動は、あくまでも任意の団体として、芸大、他の大学、社会人、近隣住民や商店などが任意で参加する、ゆるやかなまとまりとして活動していましたが、活動の継続や後継者の加入がやはり芸大内の学生に留まってしまう事から、継続的な活動方針についてしばし迷走してしまう事になりました。
2代目会長Y氏(現在大阪府在住)の時には、芸大内の団体として継続的に活動を続ける事を目標として、結成から2年後には自治会文化会所属の公認サークルとなりました。
折しも全国的ないわゆる「ミニFM」ブームが到来。80年秋の月間オーディオに続き、82年には、NHK教育テレビ(YOU)、NHK-FM放送(BKジョッキー)への出演を初めとして、朝日新聞夕刊、情報誌(プレイガイドジャーナル)、男性誌(スコラ)、毎日放送テレビ(MBSナウ)、よみうりテレビ(おもしろサンデー)など各種マスコミの取材を受けたり、学園祭のステージDJを行うなどの活動を行った事もありました。

■サークルとしての活動そして社会への拡散

1984年春、初代メンバーが卒業すると、活動の拠点を大学近辺の学生寮から、学生の多い最寄駅周辺の文化住宅に移動。この場所は結局クラブの解散までの拠点となりました。
SONの活動はその後も「電波を使った自己表現」という形式に興味を持つ芸大生に受け継がれ、また各界で活躍する人材を輩出する事になります。
現在、放送界はもとより、舞台芸術、アニメーション、出版、音楽、教育など、北海道から沖縄まで全国各地の各業界でOBが活躍しています。
90年代後半になるとインターネットの普及などで、一時は「ネットワークストリーミング放送」なども行ったようですが、学生達のライフスタイルにも変化が現れ、自己表現の手段の多様化などによりその意義は薄れていく事となりました。 そして結成から約20年、新しい世紀の始まりとともにSONはその役目を終え、ひっそりとその歴史に幕を閉じました。


SON南大阪ネットワークOB会付属考古学研究所
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